岡山県真備町・小田川の決壊における背景
今回は、このほど岡山県の倉敷市真備町で起きた洪水について書きます。
被災者の皆様におかれましては、お悔みとお見舞いを申し上げます。
しかしそれにしてもなんてタイミングで起きた災害だったか。
今回決壊したのは、倉敷市真備町の南を流れる小田川という川です。ここはずっと前からヤバイヤバイと言われていた場所で、言ってしまえば、水害が懸念されていた場所で水害が起きたという、当たり前の事故でした。しかもこれは、人災といえば人災だが、誰が悪いとも言いにくい。何しろ、まさに今年から対策工事を始めようとしていたところに本当の災害が起きてしまうという。なんとも無念さの残るとしかいいようがない事態でした。
既に県からの発表を受けて、そういった報道も始まっています。
でも字幅の問題がありますので、新聞記事を読んだだけではわかりにくいと思った。
なので今回の記事では、こういった報道が言っていることの背景情報として、真備町という場所がなぜ危ないとされていたのか、どんな対策工事がされようとしていたのかについて、個人的にブログにまとめておきたいと思います。
+現地の地形~小田川と柳井原貯水池
真備町は、小田川という川が、岡山県におけるメイン河川の一つである高梁川に、ちょうど合流する箇所にあります。
実はこの河川合流点は、人工的に作られています。もともとの川は、今は柳井原貯水池になっている場所を流れていました(地図からも貯水池がなんとなく川っぽい形をしているのがわかります)。
明治期に高梁川の堤防を作ったとき、堤防を作るついでに川の合流箇所をショートカットして、余った河道をしめきって農業用水確保のための貯水池にしました。
参考リンク: https://www.jcca.or.jp/kaishi/253/253_doboku.pdf
しかしこのせいで小田川はとても溢れやすい川になってしまった。
こういう風に川が流れにくくなることを「バックウォータ―現象」というそうです。
戦後期から真備周辺はたびたび内水被害を受けており、その原因が小田川の高梁川合流点にあるのは明らかでした。
+柳井原堰の計画と脱ダム
問題があるのは明らかでしたので、国は対策事業を立てた。
それは、高梁川総合開発事業といい、柳井原堰の整備を軸とするものでした。
高梁川総合開発事業は、岡山県の西側に位置する高梁川と河口から約13.4㎞付近で合流する支川の小田川との合流点を現況より約4.6㎞下流に付け替えることにより、小田川の高水位を低下させて洪水及び内水被害の軽減を図ると共に、高梁川本川狭窄部の治水安全度の向上を図る。また、新たな合流点付近に流水の正常な機能の維持、水道用水の供給を目的とする柳井原堰を建設するものである。
これはネットで見つけた当時の資料の引用です*1。
図にするとこう。
しかしこの事業にはなかなか着手できなかった。
どうもダム建築に地元の反対があったらしいですね*2。そして、反対に対応する形で、計画の見直しを繰り返しているうちに、社会情勢の方が変わってしまった。
2001年の長野県・田中知事による脱ダム宣言を受けて、全国でダム事業の見直しが行われました。岡山県でも2002年、柳井原堰の事業計画は国に「今後は治水のみによる事業を」と中止の申し入れがされました*3。
長野の脱ダムはかなり紛糾しましたが、岡山県のこの見直しのほうは、比較的妥当なものだったようです。もともと柳井原貯水池は農業用貯水池として作られた割に農業用水としての利用がほとんどされていなかった。ダムによる水利事業は必ずしも必要ではなかった訳だ。しかもこの地域は倉敷市中心部からもまあまあ近く、都市開発が進み田んぼがずいぶん減っていました。
とはいえ、小田川の危険個所の是正はこれでずいぶん後回しになった。
+いよいよ事業をスタートしたところだった
その後状況が動いたのは、2010年のこと。
ダムは建設せずに小田川の付け替えだけを行う、小田川付け替え事業がスタートした。今度こそ地元の理解も問題なく、半世紀ごしの懸案が解決に向かっていくことになった。
事業は工事期間10年、総事業費280億円と、県内有数のビックプロジェクト。
有識者と専門家の委員会やら、業者による各種設計業務やらを繰り返し、ようやく工事に着手する予定だったのが今年。今年は本格的工事の前段階として、工事用道路や仮堤防の整備をすすめる計画となっていて、それらの工事の施工業者も既に決まっていて、施工は秋からの予定。まさにさあこれからといったタイミング。
そこに今回の大雨が起きてしまった。
今回の雨では、とても大きな河川の高梁川からして溢れてしまっています。この地図で言ったら右下にあるイオンモール倉敷では平面駐車場が浸かったという噂も災害当時聞いたし。ここから更に上流の総社市や高梁市でも大雨被害は大きく、特に総社では高梁川沿いにあったアルミ工場で爆発事故*4が起きたりしました。
そんな状況なものだから、高梁川よりも性能の悪い小田川はもう全然ダメだった。水が堤防を越えて流れ出し、堤防の土をその水が削り出し、ついに堤防が決壊したそうです。今も復旧作業や被害状況の確認が行われているらしい。より詳しい状況はその報道を待たねばなりませんが。
なんで僕がこの記事を書いているかというと、大雨報道で被害区域に真備町の名前を聞いたとき。県内の小田川周りの事情を知ってた人はみんなそうだと思いますが、「ああ~~起きてしまったか~~~」という気持ちがね。防げたはずだったというか、防ぎに行くところだった災害が防げなかったことが、非常に残念という。やるせない気持ちがありますよね。
+強いて教訓を考えるとするならば
僕は別に専門家ではありませんし、被害を直接受けた訳でもありません。単に小田川の工事予定についてたまたま地元の資料を読んで知ってたというだけです。
だからあんまりあれこれ言うのは良くないのかもしれないが、それでもやっぱり思うところはある。
第1には、やっぱり脱ダム宣言とか、コンクリートから人へとか、公共事業は悪みたいな風潮は間違っていたということ。
当時の判断としては、そういう潮流が生まれるのは致し方ないところがあったのは確かです。公共事業のムダはだめ、みたいな話に危機感を覚えていた人なんかいるんですか。少なくとも僕は違う。たぶん柳井原堰には実際問題があったんだろう。
けれど、やっぱりそれぞれの地域にはそれぞれの事情があって、公共事業はそういう事情に即して立案されたものです。やったほうがいい工事は高額な税金がかかってもやったほうがよくて、素人が税金のムダだけを見て反対運動に突入する前に、少なくとも「前に専門家がこれが要ると判断したことがある」ことは重視するべきだった。
第2には、そういう間違った風潮はちゃんと是正されているということです。
今回は間に合わなかったけれど、小田川付け替え事業はまさに実行されようとしていた訳です。実行されていれば今回のような被害は起こらなかっただろうし。当然、今後も事業は進むのだから、今回のような被害は二度と真備町に起こらない……少なくともリスクは大幅に減るはずです。
そういう計画が、実際に災害が起きてからの後手後手ではなく、実行されようとしていた。これはやっぱり希望なんだろうと思います。
だからまあ、きっと大丈夫だ、というね。
政治家が飲み会してたから怒るだとか、迷惑なボランティアが千羽鶴を送ってくるから怒るだとか、自民で良かったとか民主が良かったとか、災害後を心配すればするほどそういうマイナス面の発言をしちゃうけども、思ったよりポジティブなことはあるんだという。それを知ろうとしたり報道したりSNSで共有したりしてもいいんじゃないかと。ぼんやり被災地近くの外野から考える訳でした。
あと、もし反省が必要としたら、とりあえず自分の自治体のハザードマップぐらい再確認したほうがいいでしょうね。真備町に住んでた人たちには、小田川のことを知らない人多かったのかなと思うんですよ。
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ここから追記。
本記事はまあまあの好評をいただきました。早い時期に書けたのがよかったのだろう。お読みいただきありがとうございます。
早い時期に書いただけあって、結構内容に怪しいところもある記事ですが、いくつか参考になるコメントもいただきました。コメント返しをしておきますね。
>状況が動いたのは、平成19年(2007年)です。
>そしてその途中で、平成22年(2010年)の民主党の事業仕分けで妨害されてます。
>そして小田川付け替え事業が復活したのが平成29年(2017年)です。
確認してみました。
・基本計画の検討を始めたのが2007年
・計画を高梁川整備計画に明記したのが2010年
・事業着手が2014年(設計等の開始)
・設計等が完了して工事予定が確立したのが2017年
のようです。
この手のデカい公共事業はたいてい、基本計画を作る>基本設計をする>実施設計・環境アセスをする>工事に入る、という順番で進むのですが、どうもネットや報道では情報源によって、どこを「小田川付け替え事業の復活」と見るかが異なるようですね。
あと、民主党の事業仕分けの影響が小田川にあったかどうかを断言するのは、できれば控えたほうがいいと個人的に考えています。別に仕分けの中で小田川の名前が出た訳じゃないし、2010年の高梁川整備計画に計画が明記されており、削除されたという事実はないからです。
もっとも、河川関係の防災予算の削減があったのは事実で、そのことが実施時期にどう影響を与えたかは、確かなことが言いにくい部分です。それに、いずれにしても事業仕分け自体が良くなかったのは記事の中でも述べた通り。コストの額しか見てないところがあった。
>これはしかし、元々の川の流れを変えて人工的に無理な合流地点を作ってしまっていた明治時代の人々の責任でもあると思うけど?
>そのせいで小田川が溢れ易くなっていたとの事だし、行政がのんびりしすぎてますね。
明治時代にはまだ水防の知識が発達しきってなかったのでしょうね。それに、真備町で災害が起きだしたのは1970年代ぐらいからのようです。つまり明治時代には溢れてなかったということ。恐らく、高梁川堤防が完成に近づくにつれ、高梁川が溢れにくくなった反面水位が上がりやすくなり、バックウォーター現象が起こるようになったのでしょうか。
国がのんびりしていた、という批判は僕はどうかと思います。というのも、柳井原堰が出来なかったのは地元の反対を無視しなかなかったからだし、2002年で事業中止になった後2007年に再検討を始めるというのは、僕の感覚からいうと十分早い範囲だからです。もっと早くはできただろうけど、既に改善してたり取り掛かったりしているものの責任取りをしてもしょうがないよ。
あと、その間にも堤防の更新は別の場所で進んでいる、というのもありますしね。県内では岡山市中心部を通る旭川・百間川では、今回の雨による浸水被害はほぼありませんでした。小田川・高梁川の他、溢れそうになっていたのは、笹ケ瀬川・砂川などで、これらもまた、今まさに堤防の工事をしている河川です。