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『虚構推理』おひいさまは現代ミステリ最先端の体現だ

 今回は『虚構推理』について書きます。
 2020年3月現在、アニメが絶賛放映中のミステリ作品です。原作厨を自認する僕はアニメを見たかったがために、まずは原作のほうを全巻買いました。
虚構推理 (講談社タイガ)

虚構推理 (講談社タイガ)

 

 

 そしたらこれが、なんというか批評的な意味で面白かった。

 語りがいがありそうだったので、アニメが終盤に入ってきたこのタイミングで、一発ブログにまとめておきたいと思います。

 
 結論から言えば、『虚構推理』は平成後期から令和現在にまで連なる、本格ミステリの困難――もしかしたら本格ミステリの"衰退"――を踏まえたうえで、それを克服しようとしている。時代の最先端にあるミステリ*1だということです。しかも作者は、恐らく計算と作為によってそれを書いた。
 そしてその計算を体現しているのが、『虚構推理』人気の本体であろう岩永琴子、通称おひいさまです(ということにします。記事タイトルをキャッチーにするために)。
 計算して書かれた最先端であることは、この作品の最大の長所でもあり、短所でもあると思いますが、とりあえず今読んでおくべきなのは間違いない。メディア化されたのも当然の作品だし、今後これを踏まえた作品というのが出てくるのではないでしょうか?
 
 本記事では「虚構推理」をなぜ作為された最先端のミステリと僕が評価するのか、ミステリというジャンル全体の展開を踏まえたうえで、勝手な批評を書きなぐっていきます。
 
 

+ミステリとは「異常な状態を正常に戻す」ジャンル

 
 まず前提条件から始めます。
 そもそもエドガー・アラン・ポーの登場以来現代にまで連綿と続く、ミステリというジャンル、脚本論的に言えば「異常な状態を正常に戻す」ジャンルです*2。 

 これは史上初のミステリとされる『モルグ街の殺人』ですが、このあたりからもうお約束という名の物語構造が構築されている。一般的には、これをそのまま踏襲した、シャーロック・ホームズのほうが有名かもしれませんが。

 

 そもそもエンターテイメントであるならば、ストーリーは、まず何らかの問題に直面し、それを解決しなければなりません。
 例えばバトル漫画なら「強い敵が出てくる→邪魔なので→倒す
 パニック映画なら「死にそうな状況になる→死にたくないので→逃げる
 刑事ドラマなら「犯罪が起きる→任務なので→犯罪者を捕まえる
 というプロセスを描きます。
 
 これがミステリの場合は、
異常な事態が起きる→異常なのは怖いので→異常ではないと指摘する
 です。
 先に刑事ドラマを別途挙げておいた通り、犯人を捕まえることが目的地ではないのがミソです。人間の感情は、本能的に整理された状況を望み、異常な状況で不安を覚えます。不条理を解決することで、読者の感情を不安から安心へと動かす。それがミステリというジャンルに課せられた使命であり、目的だと言えます。
 
 

+犯罪は「異常な事態」ではない

 
 ここからちょっと極論寄りの持論を述べてしまいます。
 先に述べた「異常を解決する」意味でのミステリはジャンルとして――特に古典的な探偵ミステリに顕著なのですが――実は21世紀現在、時代遅れになってしまっています*3
 
 大きな原因は、犯罪が「異常な事態」でないことがバレてしまったことにあります。
 ポーやホームズの時代、つまり19世紀から20世紀中盤まで、犯罪者っていうのはすなわち異常者でした。まともな人間は犯罪を犯したりしないし、つまり異常者である犯罪者は何をしてくるか判らない。皆きっとそう思っていましたよね?
 だからそれを倒すヒーローは「異常者の思考を読み解く者」であればよかったのです。
 
 ところが、社会科学の発展と情報メディアの発達によって、犯罪者は異常者ではないことが読者一般に明らかになりました。
 
 殺人のほとんどはカッとなって勢いで行われます。何十年もかけてトリックの準備をする人は居ません。
 犯罪のほとんどは、バカが貧乏と短気を理由に起こします。巧みなトリックで不可能犯罪を作ることができる犯罪者も居ません。
 犯人逮捕に必要なのは、アリバイの確認や言葉の矛盾を突くことではなく、自供と目撃証言です。時刻表の読み解きや密室の解明やなどどうでもいい。古畑任三郎が揚げ足取りで追い詰めた犯人はたぶん現実なら無罪になっているのです。
 
 『虚構推理』のおひいさまもこうおっしゃっています。
 

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身も蓋もない探偵

 こういう言動、現代のミステリではもう定番ですね。
 探偵役が「児童虐待なら児童相談所だ」とか「この密室を解く必要はないだろ」とか、身も蓋もなくオッカムのカミソリを持ち出してくる。それで、相棒のミステリマニアが「それはどうなの」と当惑したり呆れたりする。
 ミステリの側も、認めざるを得なくなっているのです。我々のやってきたことは現実の犯罪とは何の関係もなかった、と。リアリティと論理の整合性を確保するためには、もうミステリの側がこれを言わざるを得ない。
 この話は普通、ミステリ界隈では"後期クイーン問題"という名前で、全く違う切り口の下に整理されています。ただ、僕は今、そのバックグラウンドにはそもそもの社会情勢の変化――社会一般における犯罪への理解の促進――があったという話をしています。
 
 

+「探偵」はもうヒーローではない

 
 更に、現実の犯罪と探偵ミステリが完全に切り離された結果、平成後期以降のミステリでは「探偵」がヒーローではいられなくなっています
 
 シャーロックホームズの時代、探偵とは、圧倒的なパワーで正義を成すヒーローでした。
 しかもそのヒーローは他と違って現実に存在するかもしれなかった。戦隊レッドに変身するためのガジェットは偽物のオモチャしか存在しないけれど、頭脳と推理力と観察力なら誰もがも持っています。訓練すればマジでホームズになれるかもしれないという希望があった。
 少しませた子供が、大人になったら戦隊よりもシャーロックホームズになりたいと真面目に言っていた。そんな時代がかつて確かにありました*4
 
 今は違います。「探偵」は荒唐無稽な存在です*5
 いまや、ギャグの一種ですらあります。漫画の『ああ探偵事務所』や『命運探偵神田川』や『全く最近の探偵ときたら』を読んだことはありますか? 
命運探偵 神田川(1) (ガンガンコミックスONLINE)

命運探偵 神田川(1) (ガンガンコミックスONLINE)

 

 これは個人的に特にオススメの神田川

 ギャグ漫画でネタとされているだけならまだ言い訳がきかなくもないけど、どちらかといえば、JCDとかいって探偵って要素をネタ消費しはじめたのは本格(シリアス)のほうが先ですからね。

 あとは、最近の金田一少年やコナンの扱いがとくに来るところまで来た感じがあります。犯人目線の漫画面白いですが、「探偵」が、もうヒーローというより、災厄とか確定フラグの類になっていることにお気づきでしょうか。同じキャラクターを書いているのに、90年代の探偵と令和の探偵で明確な差がある*6
 
 当たり前だけど、ヒーローが出てくる小説・脚本っていうのは、それだけでもう魅力的です。つまり、かつて「探偵」は存在するだけで物語の魅力を一定程度担保する存在だったのです。
 
 それが現代では違うということ。
 
 今や、ミステリであることが物語の魅力に直結しない
 
 本格ミステリが斜陽になるのも当然です。かつてSFというジャンルが、現実の科学に追い付かれて冬の時代を迎えたのに似ているんじゃないでしょうか*7
 
 

+ヒーロー物語から激辛ラーメン

 
 こんなことを言うと、ミステリファンを自認する方々から、いやミステリは今でも面白いよ! という反論があると思います。
 実際、以前ほどの勢いはないにせよ、相変わらずミステリは売れていますしね。
 ただ、それについて、僕は適切な比喩を一つ持っています。
 
 今のミステリっていうのは、激辛ラーメンなのです*8
 
 本当に美味い激辛ラーメンって、食べたことあります? 辛い! 辛いけど食べられるのが辞められない! 美味さと辛さが後からくる! そんな感じの。あの旨さを引き出しているのは、果たしてトウガラシのカプサイシンでしょうか? 違います。トウガラシが入っただけの水なんておいしくもなんともない。旨さを持っているのはあくまでも質の良い油や出汁です。旨い激辛ラーメンは、トウガラシが入っていなくても間違いなく美味しい。
 ミステリ要素っていうのは、ラーメンで言うところトウガラシなんですよ。
 確かに、料理は辛ければ辛いほどいい! というガチのミステリファンは居ます*9。いますが、多くの場合、ピリ辛ラーメンを食べる人が美味がっているのは実は辛さそれ自体ではありません。
 つまり、ミステリに分類される作品を読んでいても、多くの人々はミステリの特徴であるとされる謎解きや論理を主な魅力と感じてはいなかったりする*10
 
 かつて、ミステリっていう素材からは、濃厚な出汁が出ていました。
 もうそれを入れただけでラーメンが美味しくなるレベル。
 しかし現代において、ミステリだけでラーメンを作るのは無理です。素材がカラカラの鷹の爪みたいにになってしまっているのです。今のミステリからは、旨味の欠けたカプサイシンしか得ることができません*11
 
 

+次郎ラーメン系ヒロイン、岩永琴子

 
 そんな訳で、ミステリ、というジャンルはこの現代において衰退の危機に瀕しています*12
 なので、エンターテインメントとしてのミステリをやろうと思ったら、何か別の要素で旨味を補う、それなりの工夫が必要です。
 『虚構推理』は、その工夫がすごい。
虚構推理 スリーピング・マーダー (講談社タイガ)

虚構推理 スリーピング・マーダー (講談社タイガ)

  • 作者:城平 京
  • 発売日: 2019/06/21
  • メディア: 文庫
 

  もちろん、工夫を凝らしているのは他のミステリ全般もですが、『虚構推理』の場合は、工夫の具合が良い意味でえげつない。それを逐一指摘することが、批評として面白いと思ったので、僕はこんな長文を書いているのです。

 
 その工夫が、最も直接的に表れているのが主人公の岩永琴子の存在です。
 
 アニメやコミックから『虚構推理』に入った皆様は、"おひいさま"こと岩永琴子が魅力的なキャラクターであることを全面的に認めてもらえるのではないでしょうか。
 2012年のミステリ小説『虚構推理』が、令和の今になってアニメ化している。その原動力のうち半分ぐらいは、主人公の魅力にあると言っていい*13
 
 ではその魅力を生み出しているのが何か。
 冷静に考えると、これがものすごい露骨なのです。
 
 列挙してみましょう。
 岩永琴子は、まず、言いにくいことをズバズバ言っちゃう系女子です。主人公が持つべき資質としては一つの鉄板ですね。社会からのしがらみに囚われることのない、読者とは一線を画した、理想像としてのメンタル強者です。
 あと低身長です。つるぺたです。めちゃくちゃかわいくて、西洋人形のような、という描写が小説でも頻繁に使われます。服装もそれに即したひらひらフリフリのデザインです。杖も障碍者用というよりただのオシャレアイテムに見える。あと、このキュートさは強者メンタルとのギャップを演出してもいます。
 それと、おひいさまは超能力者です。特殊な生い立ちを持っています。それで、いろんな化け物と話すことができます。夏目友人帳です。ドリトル先生です。これも一つの鉄板ですね。
 更に、義手と義眼を使っています。身体に欠損があるって、中二病のころ憧れませんでした? ぶっちゃけハガレンですよね。露骨にそれをアピールもします。読者の前で義眼の眼球部分にわざと触ってみせたり、義足を外してくつろいでいるところを見せたりします。フェチズムです。
 彼女は、なんと少女漫画的な恋愛の主体でもあります。物語中で、推理するとき以外はほぼ全部、恋愛のことを考えています。その文脈でのギャグも多くて、つまりラブコメ要素も完備です。
 
 そして、この主人公を最も象徴すると思うセリフがこれ。
「大丈夫?」
「ええ…、破瓜の痛み比べればこれくらい」

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この顔をしながら言った
 なんて露骨なセックスアピール!
 こんなこと言うヒロイン、ラノベでもなかなか居ないよ。
 しかもこのセリフ、読者へのセックスアピールであると同時に、自ら恋愛にアプローチする強いヒロインの表現でもあり、衝撃的すぎることを言うタイプの下ネタギャグでもある。おひいさまのキャラクター性を象徴する一コマじゃないです?
 
 いやあ、なんでしょうか。
 この、お前らの好きなものを全部つめこんだぜ!感は。
 ラーメンでいえば全部乗せ、いや、それも超えていっそ次郎系かな。
 探偵要素だけじゃ魅力を作れないなら、探偵以外の魅力を詰め込めばいい!!*14 エンタメ創作理論としてめちゃくちゃ強力ではないですか。
 
 ちなみに、この方向性でミステリを成立させている他作品は、『謎解きはディナーの後で』とか、『心霊探偵八雲』とか。あの辺の作品は、硬派なファンには賛否両論あるんでしょうが*15、個人的にはそれで激辛ラーメンが美味くなるんだからそれでいいんではないかと思う。
 それらの作品にしたって、岩永琴子ほど属性山盛りではなかったけども。
 
 

+ミステリに媚びるため、ミステリ以外のジャンルに媚びる

 
 さっきちょっと夏目友人帳がどうとか言いましたが、その点も重要ですよね。
 『虚構推理』は、ミステリであると同時に、妖怪モノです
 
 ミステリと妖怪は親和性が圧倒的に高い。
 私見というか、偏見と言われてもしかたないですけど、ミステリファンを自称する女性なら、絶対『夏目友人帳』とか『蟲師』とかも好きでしょ。金田一がすぐに山奥の廃村に行って怪奇みたいな目にあうのも、メフィスト賞の探偵役がやたら民俗学に詳しかったりするのも、理由が同じでしょ。
 無理やり理屈という名の軟膏を引っ付けるとするなら、もともと「異常な犯罪」に関わろうとするのがミステリだったからでしょうかね。ミステリを好む者はその解決の有無に関わらず、「異常な状態」に魅力を感じていたのであって、従って別の「異常」に関わる物語、つまり怪異・妖怪モノに魅力を感じるのかもしれない。
 まあ、理屈の是非はともかく、こんなのは経験的に誰もが判ってることなんですよ。
 
 『虚構推理』はいっそ露骨なほどにそのツボを突いてくる。
 
 ミステリをやります → 魅力を増したい → だから妖怪を出しましょう!
 
 こんなダイレクトな発想ある?
 あと、妖怪モノとして見たときも、人間に友好的な、かわいい妖怪を出してくるのも良さ味がありますよね。ホラー調の怖い妖怪って、それこそ鋼人七瀬ぐらいしか出ません。おひいさまにてんこ盛りされた属性と同じ。絶対にウケたいという強い意志を感じる。
 
 しかし、妖怪モノであることは、あくまでもミステリとしての魅力を追及するためです。
 この事は、ミステリとしての『虚構推理』の頑固さをみれば一目でわかります。
 

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しつこすぎる蛇
 『虚構推理』は、いっそくどい程に延々と、論理を積み上げます。"理屈が通っている"ことに、作品の熱量と会話とページ数のほとんどを費やします。
 アニメ化範囲では、蛇のエピソードとか顕著ですよね。あと今放映中の鋼人七瀬討伐シーンもですが。アニメの蛇のシーン、2話から3話のほとんどを使ってしまって、鋼人七瀬のレスバも全然進むペースが遅くて、「ちょっと話しつこくね?」と思いませんでしたか。
 あれは実際にしつこい。
 ミステリがそこまで好きでない、尋常の書き手なら削ってしまうところです。
 
 しかしこれがミステリファンという激辛好きには必要なのです。
 述べたように、ミステリパートっていうのは、激辛ラーメンで言えばカプサイシンなんですよ。実はちょっぴり振りかけるぐらいに抑えておいたほうが一般受けする可能性がある。
 でも、精読して理屈の不備が見つからない事。重箱の隅が存在しない事がミステリの条件で、それはノックスの十戒よりもはるかに強力な第零戒といえます。重箱の隅をつぶしきるためには、それなりに行数を食ってしまいますが、それをやっているからこそ『虚構推理』は、妖怪モノでありがながら、ジャンルとしてはミステリでいられる。
 
 この作品は、ミステリ外にめちゃくちゃに媚びていながら、いっそラブコメ異世界転生ラノベか、という要素を主人公に全部盛りにしながら、そのすべては「ミステリであること」に奉仕するためにある。明確にミステリファンに向けて書かれているのです。
 
 ……いや実は『虚構推理』は2012年の原作公表時から、これはミステリなのか? という議論になることの多い作品なのですけどね。妖怪とか超能力が出して、ノックスをバールのようなもので殴りつけた上、"理屈が通っているだけ"の言い訳みたいな論理でアリバイ作りを重ねてくるから。
 でも、結局のところ、ミステリというしかないでしょう。むしろここまでやってなおミステリであることを褒めるべきだと僕は思う。
 
 

+「謎を解かない。問題を解決する」という答え

 
 更に『虚構推理』は、犯罪とミステリが無関係になってしまった、という時代の要請にも明快な答えを見せています。
 それは、そもそも犯罪や謎にかかわらない、というものです*16

 複数の事件に矢継ぎ早に関わる、短編集を読むのが判りやすいでしょう。

 現実の犯罪や謎に関わらない、という一点について『虚構推理』は徹底しています。

 そもそもおひいさまは、自らの異能力を使って、犯罪の犯人を立ちどころに知ることができます。彼女はどのエピソードでも、だいたいが「現場にいた妖怪が目撃していました」で真犯人を特定しています。

 しかし、おひいさまは、だからと言って犯人逮捕に関わったりはしません。そもそも関わるまでもなく、真犯人は警察が捕まえた人物で間違いない場合がほとんどですし、そうでない場合ですら特に何も言ったりはしません。
 おひいさまが解決するのは、あくまでも妖怪の問題です。
 彼女は、自らの知能と論理思考能力と弁説をもって、妖怪を説得したり、疑問に答えたり、妖怪の要請に従って現実の人間に干渉したりします。そのためなら、持ち前の頭脳でもっともらしい嘘をついたりもします。
 
 注目したいのは、あくまでも頭脳で問題を解決している、という点です。
 怪異を己の頭脳と論理のみでひも解く、ヒーローとしての探偵が復活している。
 
 確かに、おひいさまこと岩永琴子は超能力者です。しかも相棒役の彼氏は、おまえワンパンマンにいるS級ヒーローの上位互換よね? って感じの能力者で、彼女もそのパワーを存分に利用します。
 でも、あくまでも問題の解決は、頭脳一本槍なんですよね。
 
 最初のほうで、シャーロック・ホームズというヒーローについて述べたことを覚えていますでしょうか。頭脳一本でヒーローになれるなら、自分もヒーローになれるかもしれなかったんですよ。仮面ライダーの変身ベルトは持ってないけど、頭脳は自分にもあるんだから。
 それと同じで、岩永琴子になら、読者もなれるかもしれませんよね
 確かに妖怪と話す能力なんて僕にはないけれども、それが彼女の本質でないことぐらい判ります。
 
 これはもはや、魅力としてのジャンル「ミステリ」が復活しているではないか、と思う
 
 『虚構推理』の"犯罪には関わらない"という姿勢は、しばしば「アンチミステリ」という語に絡めて語られると思います。
 でも僕は、本格ミステリっていうジャンル内部だけではない、もうちょっとエンタメにとって本質的な事がここでは起きていると感じます。そしてこれは、同じようにアニメ化した『氷菓』なんかが有名ですが、ミステリっていうジャンル全体で起きている変化の一端なのではないか。
 
 

+良くも悪くも「良アニメ化」

 
 まとめます。
 
  • ミステリは平成後期以降、本来の魅力を喪失しつつあった
  • 『虚構推理』はその状況へのアンサーとして秀逸である。
  • アンサー①ミステリと無関係の魅力をしこたま盛った。
  • アンサー②なおかつミステリとしての魅力を徹底した。
  • アンサー③リアルな犯罪に関わらないことで、知的ヒーローとしての「探偵」を復活させた。
 
 まあ正直なところ僕はミステリ読みでは全くないので、本当のファンの見解とは一致しないかもしれませんがね。
 
 ところでこんな特徴を持つ『虚構推理』ですが、こんな特徴を持つからこその欠点が、明確に存在するようにも思えます。
 一つは、中二病ラノベ的に設定をガン盛りした結果として、旧来の硬派な本格ミステリファンがちょっと引いた目でみてるフシがあります。僕はラノベもよく読むので全く気にならないですが、だからこそ、ラノベ的要素に引いちゃう層がかなりいるという現実はよく知っている。
 もう一つは、ラノベ的魅力で人を集めた結果、ミステリが大して好きじゃない人まで作品に集まっています。述べてきたように、彼らにとって論理とか謎解きは魅力とならない。他の人の漫画の感想を読んでいて「謎ときシーンは退屈だから読み飛ばせばいいよ」とか書かれているのを見つけてしまって僕は、ああーっ、ってなりました。
 つまるところ、ミステリファンからも、非ミステリファンからも、全面的には受け入れてもらってない現実がある。
 
 今のアニメ化も、だいぶそれに即した作りになっていますね。3月17日現在、アニメは鋼人七瀬解決編の長い長い描写にはいっていますが、もう毎週「あんまり話が進まなかったな」みたいな感じになると思う。でも『虚構推理』はあくまでもミステリですから、これが元からなんですよ。
 第1話からテンポよく小粒な謎を解決していったのは、さすが良アニメ化の演出。しかしアニメ演出の方は、中盤から後半にかけて、むしろ忠実にミステリとしての本作を再現することに力を注いでいるように見える。そのことで、『虚構推理』の悪いところも忠実にアニメ化している……と言えるかも。
 アニメ期間の半分以上を原作と関係ない事件に費やした『ロードエルメロイⅡ世』とは真逆ですね。どっちが良いかは判断しかねる。
 
 まあどっちみち、僕にとっては面白いので、このまま続きを楽しみにしたいと思います。皆様も楽しみにアニメ終盤を見ていきましょう。
 (もしくは見終わってこの記事にきましたか? どうでしたか?)

*1:といっても、これ2012年の作品ですけどね。まあ2020年の現代まで同じ時代が続いていると考えればいいだろう。

*2:参考:ハリウッド脚本術―プロになるためのワークショップ101

*3:後にも注釈をつけていきますが、謎解き全振りを趣旨とした本格ミステリの台頭は、この時代の変遷に対応した一つの形だったのだと思います。しかし結局のところ対応しきれておらず、後期クイーン問題とか言い出さざるを得なかったのだと思う。

*4:これは実体験ですから時代の有無についての異論は認めません。

*5:この変化がいつから始まっているのか? について僕は語ることはできないのですが(ミステリの古典全般は追えていないので)、本格というジャンルの誕生自体「探偵」の脱ヒーロー化の進行と関係があったという読みも可能かもしれませんね。

*6:犯人モノのスピンオフだけじゃなくて、例えば本人が書いている続編『金田一37歳』にすらそういう傾向は現れているように思うんですよねえ。今回そこには踏み込みませんけれど。

*7:そして今、ジャンルとしてのSFは科学の更なる発展の兆しによって復活しつつある……のではないか? まさか『ロボサピエンス前史』が売れる時代になるとは。ミステリも何らかの社会的要因や作劇上の発明でそうなっていくかもしれません。ていうか今、それについて僕は記事を書いているのかも。

*8:この例えは、僕がネットで無貌の誰かに諭されたもので、オリジナルではないことを一応明記しておく。

*9:そういうミステリファンが読むのが例えば『その可能性は既に考えた』だったりします。一般人にあれは無理。ていうか僕があまり好きじゃないです。

*10:っていうかこれ僕の読み方の話ですけどね。でも少なくとも的外れじゃないし、自分側がマジョリティだと自分で思ってます

*11:逆に言えば、カプサイシンを得ることはできるわけですよ。話の流れ上ミステリ全体を貶すみたいになってますが、それはそれで唯一無二です。なんの料理にせよ、ピリ辛要素はやっぱり美味になることが多いのではないでしょうか。

*12:ここ凄く怒られそうなので言い訳を追記しておくんですが、先に述べた通り「ミステリ」を「異常を解決する」ジャンルだと定義した場合にそれが衰退していると言っているのであって、本屋のミステリの棚が消えるとか言っているわけではないです。あと、この記事は「衰退の危機を現代ミステリがどう克服しているか」についての話ですから、現実には危機はもう去っているはずです。

*13:なお、もう半分は大胆なコミカライズの手腕です。原作読んで、アニメ見て、それからコミカライズ読んだら「アニメ良改変じゃん!」と思ってた部分はほぼコミカライズがやっていましたよ。

*14:念のため付記しておきますと、別にキャラに要素をぶち込むのは現代ミステリに限ったことではありません。ごく標準的な創作手法です。でも、探偵役が「探偵以外」の要素を必ず持つみたいな傾向は、最初に述べておいたようなミステリの危機が顕在化して以降の顕著になったと思う。「探偵」一本槍ではもはやキャラクターが成立しなくなっている。

*15:本格ミステリが一番ブームだった世代には、真顔でアニメ絵のラノベを読むのはつらいものがあるでしょう。気持ちはわかります。たぶん。

*16:先にもたびたび述べていますが、恐らく作者的には"後期クイーン問題"という呼ばれる、ミステリ特有の問題にたいする答えとしてこの姿勢を出していると思います。しかし本論では、それは必ずしもミステリ特有の問題を反映したものではない、社会情勢の変化に対応するための答えでもある、という解釈を使っていきます。