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なぜいじめは起きるのか? への教育者向けではない説明。

いじめのイラスト(男の子)

いじめはなぜ起こるのでしょうか?

いじめっ子が悪いのか。いじめられるやつにも問題があるのか。あるいは管理者の先生が悪いのか。家庭環境が悪いのか。はたまたヒトの本来の悪性が原因なのか。いろんな考えがあり、いろんなことが色んなことを言っています。興味を持って調べれば実際いろいろなことが分かったりします。
ただ、いじめに関する情報はどうしても教師や両親(=いじめに関する責任を負わされる人たち)に向けた情報に偏りがちです。それは、いじめられている・いじめられていた当事者に向けた情報が少ないってことです。しかも、そういうオトナ向けの教育情報は良くも悪くも心がきれいな人が読み書きするので、しばしばキツい内容はタテマエ上省かれたりします。
そこでこの記事では、教育者以外の、今いじめられている人、かつていじめられていた人、単にいじめに興味がある人に向けて、いじめについて書きます。
 

+「なぜいじめが起こるのか?」なんて段階はもう終わってる

 

中学・高校の授業のイラスト

 

いじめについて論じるようとすると、人はすぐに「なぜいじめが起きるんだろう……」とか「いじめはどうしてなくならないんだろう……」とか考えてしまいがちです。
しかもいじめ被害者の親御さんとかがそうやって悩むところをメディアが流すので、特に学んでないうちは、結構賢い人たちもいじめの原因は不明だとか思っていたりします。
でも実は、なぜいじめが起きるのかは、既にはっきりしています。
少なくとも有力な仮設があり、その仮説に基づいて文科省等は対策を指導しています。
その仮説とは、
 
「いじめは、十分な信頼関係が築かれていないが一緒に行動せねばならない社会集団において、ほとんど偶発的に発生する
 
というものです。
 

+学校のクラスでいじめは起きる

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十分な信頼関係が築かれていないが一緒に行動せねばならない社会集団」とは、代表的には学校のクラスのことです。他のパターンとしては十分な信頼関係を築くのが難しい大企業の一部署などが考えられます。
 
逆に「信頼関係が築かれている社会集団」とは、例えば仲のいい幼馴染グループとか、家族とかを指します。当たり前のようですが、こういった集団ではいじめは起きません。
また、「信頼関係が築かれていないが一緒に行動しなくていい社会集団」というのも考えられます。これは例えばお店でたまたま会って話しているだけのグループ、あるいはその日のうちに解散することが判明している班行動などです。こういった社会集団でもいじめは起きることがありません。
 
平たく言えば「別に仲良くない」のに「無理やり一緒になった」集団において、いじめは発生します。 
学校教育では、子供にコミュニケーションの経験を積ませるため毎年クラス替えを行ったりして、わざとそういう集団を作っています
わざとそうしていること自体は教育として完全に正しいです。子供がいじめをしがちなのは、信頼関係のない集団に属すのが初めてだからという面が大きく、いじめが最も多発する小学校高学年~中学校2年の期間はまさに子供の社会性が発達する時期です。
学校は集団でのコミュニケーションを訓練する場なんだから、それはもうしかたないです。
ただ、そういう集団を作ると、一定の確率でいじめは起きてしまうことも判っている訳です*1
 

+なぜ学校のクラスでいじめが起きるのか 

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なぜ学校のクラス=信頼関係のない社会集団で、いじめが起きてしまうのでしょうか?
それは、信頼関係がない社会集団に属している不安を、いじめに参加することで消せるからです。
信頼関係がないということは、相手が自分を攻撃してこないという確証がありません。親しい友達や家族は間違いなく自分を罵ったりしないでしょうが、クラスメートにそうされないという保証はありません。攻撃されるかもしれない状況で、人間は不安になります。そして不安から逃れて安心することを、本能的に求めます。
 
そこでいじめでは、メンバーの中からいじめられる役の人間を一人選びます
それから、何か悪い事があったときは、そいつを責めるようにします。
すると、いじめられる役の人間を責めている間は、自分は責められないので安心です。
皆で協力して一人を責めているなら、仲間と一つの目標にむかって協調しているという満足感や、仲間との信頼関係を育むことすらできます。
精神的にプラスの感情が生まれています。つまり、いじめはやってると楽しいです。なので自分がやってることを「いじめ」だと認識するのが難しいです。タテマエ上あまり語られないことですが、これは事実です。しょうがない。人間は"悪者"を責めるのが単純に好きという面を持っていることも大いに関係しているのでしょう。
大して親しくない友達と、何か安心できる行為をして楽しむ必要がある。
それが、いじめの起きる場がしばしば学校のクラスである理由です。
 

+いじめられ役は偶発的に選ばれる

荷物持ちジャンケンのイラスト

信頼関係のない集団に居るという不安から逃れるため、集団のメンバーはいじめられる役の人間を選ぶと述べました。では、その選定はどういった基準のもとに行われるのでしょうか?
基準はないことが明らかになっています。
つまりそれが「ほとんど偶発的」ということです。
個々のケースでは、当事者たちは理由を持っています。大人から見てこれが理由ではと見えることもあります。しかし個別ではない複数のケースにまたがってみると、この特徴を持っていれば必ずいじめられてしまう、という条件は見つかりません
つまり、ブサイクだったからといっていじめられるとは限らない。
コミュ力がないからといっていじめられるとは限らないのです。
にもかかわらず、ある特定の子はいじめられることがあります。なぜか?
偶然だとしかいいようがありません
敢えていえるとすれば、その時の流れとか空気とか、まずコントロールできない集団心理によっていじめが起こるかどうかと誰がいじめられるかが決まります*2
 

+偶然いじめられやすい子はいる

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社会集団におけるいじめられ役の選定自体は、偶然としか言いようのないプロセスですが、それでもやはり傾向というか、確率の高い子は居ます。
 
いじめられ役の選定は、集団の総意(と見做される空気)によって行われますから、いじめられ役には、いじめられても他から文句や問題の出にくい人が選ばれます。
  • 何か集団内で和を乱したり、失敗や問題を起こしたことがある。
  • 全体的に「力」(暴力・財力・権力・学力など)に欠ける。
  • 集団内に親しいに仲間が少ない。
こういった人はいじめのターゲットになりやすいです。
ただし、そういった特徴が持っているとしてもいじめられない人のほうが世の中には多いこと、またこれらは普通に考えたら大した欠点ではないことに注意しないといけません。
いじめられっ子には実際欠点があったりするので、分かってない人はその欠点だけを見て「いじめられる方にも問題がある」論を肯定してしまいがちです。いじめ被害の当事者も自信を失ったりします。
 
しかし繰り返しますが、いじめの発生は偶然的です。
対象の欠点が誘発する必然ではないのです。
 
 

+いじめに加担しやすい子もいる

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いじめに加担しやすい子もいます。
いじめは信頼関係がない社会集団にいるという不安を軽減するために行われます。つまりいじめをしてしまうのは、どちらかといえば空気や他人の悪意といった権力の強弱に敏感な子です。これは例えば両親の機嫌に敏感にならざるをえない家庭環境の子供のことです。親が「私いま機嫌悪いんだけど」とかで怒ってくる家庭ってのは概ねろくでもない。
また同時に、不安という感情があったら感情のままに行動してしまう人でもあるでしょう。それはいわゆる"しつけ"が不十分であるということ。感情を我慢する能力というのは前頭葉の発達で決まりますが、前頭葉の発達は幼児期がピークとされます。
あと感情のままに行動する理由には、単純に無知とかもあったりします。いじめっ子って勉強とかをしないタイプだったりしますよね。何が悪いかということをそもそも学ぶ機会がなかった子ってのはやはり皆無とはいきません。単に知識がないことで、傍観者タイプの動きでいじめに加担することも多くなります*3
  • 日頃から理不尽に怒られたりしがち。
  • 健全な社会経験が不足している。
  • バカである。
いじめに積極的に加担するのは、こういう子であることが多いと思われます。
いじめられている・いた当事者にとって特に重要なのは、最後の点です。いじめに遭っていると「あいつらはなんて悪いやつらなんだろう」とか「善人なんていないのか」と考えてしまいがちですが。いじめをしている人たちは、生来の暴力者や悪人ではありません。悪ではなく単にバカなのです。いじめ加害者は、自分のやっていることが何なのかも区別がついてない。単に楽しいからやってるだけです*4
 
 +

+いじめは無くならない

ネットの誹謗中傷のイラスト(女性)

ここまで、いじめが不安を解消するために偶然起きる現象である、という趣旨のことを述べてきました。
でも、社会から不安が無くなることはおそらくありません。
それに、偶然ってことは0%ではないということです。
ではつまり、いじめはなくならないのでしょうか?
 
はい、そうです。いじめは無くなりません。
 
いじめの研究が最初に行われたのは70年代スカンジナビアだといいますが、しかし間違いなくもっと昔から連綿と人間集団で行われていた行動です。恐らくは社会性動物である人間の本能にかなり近い部分に根差しています。
だから必要なのは「いじめの根絶」などではありません
やらなければならないのは、いじめのコントロールです。社会生活で不安になるとついつい弱者を攻撃してしまうことはあります。ありますが、通常「いじめ問題」*5とされるのは、それが続して長期間にわたって行われること、ひいてはそのストレスで対象者の精神状態や健康に悪影響が出ることです。
要は、短期間でいじめを止めるとか、いじめられててもストレスの影響を最小にするとか、そういうことが出来ていればよいのです。
 
実際、教師が最も力を入れるのはいじめの「早期発見」で次が「生徒へのケア」です。いじめの早期発見やケアが大事だとかよく聞きますが、それはいじめ根絶は無理なので~という意味と思ってよいです。
 
 

+先生たちは建前上こういったことは言えない

■

建前をないがしろにできない教育関係者は、これらを大っぴらに言えません。
言っててもしばしば要点がぼかされていたりします。
だって、「学校でクラスを作るといじめが起きますよ」とか「いじめは楽しいですよ」とか「いじめに遭ったのは偶々ですよ」とか「いじめ加害者になるのはバカだからですよ」とか、おおっぴらに言えるわけがない*6
なので原因は不明だとか、追って調査するとか、実質的に説明を諦めます。
 
しかし現実にいじめに対象するには上に挙げたような認識を前提しなければならないし、実際こういう認識に基づいていじめ対策は建てられているのです。
次回は、じゃあどうすればいいのか、という実際の行動指針や現実に行われている方策の意味について、教育者以外の人向けに書こうと思います。
 

*1:要するにある意味危険な訓練をしている訳で、だからこそ訓練教官=教師の責任を軸にいじめは語られます

*2:なかにはそうした集団心理をコントロールするのに長けた子どももおり、そういった子がいじめっ子リーダーになったりします。そういった子はしばしばクラスの人気者だったりもします。

*3:日本では特にこの傍観者タイプの子供が多くなりがちだとされ、いじめ啓発教育はそのために行われます。

*4:もちろん、だから許そうみたいな話にはできませんが。

*5:「いじめ問題」にならないいじめ行動を「からかい」と呼んで区別することがあります。

*6:実は専門書などでは言っていますが(僕がこの知識をしっているのはだからです)しかし現場で言うには言葉を選ばねばならないでしょう。マスコミの会見なんでもってのほかです。