建前抜き! なぜいじめは起きるのか

建前抜き、とタイトルに書きました。正直に言って、いじめについての情報なんて、ネットにもテレビにも溢れています。敢えて僕が生半可知識で書くことなんて何もないのかもしれない。しかしその情報がタテマエにまみれていて、現実社会の参考にならない(ように見える)ことには概ね同意していただけるのではないか*1

そこで、この記事では僕が学んだいじめについての知識を書きます。
 

+「なぜいじめが起こるのか?」なんて段階はもう終わってる

 
いじめについて論じるようとすると、人はすぐに「なぜいじめが起きるんだろう……」とか「いじめはどうしてなくならないんだろう……」とか考えてしまいがちです*2
 
実は、なぜいじめが起きるのかは、既にはっきりしています。
少なくとも有力な仮設があり、その仮説に基づいて文科省等は対策を指導しています。
その仮説とは何か?
 
「いじめは、十分な信頼関係が築かれていないが一緒に行動せねばならない社会集団において、ほとんど偶発的に発生する
 
というものです。
 

+学校でクラスでいじめは起きる

「十分な信頼関係が築かれていないが一緒に行動せねばならない社会集団」とは、代表的には学校のクラスのことです*3
 
逆に信頼関係が築かれている社会集団とは、例えば仲のいい幼馴染グループとか、家族とかを指します。また、信頼関係が築かれていないが一緒に行動しなくていい社会集団というのも考えられます。これは例えばお店でたまたま会って話しているだけのグループ、あるいはその日のうちに解散することが判明している班行動などでます。こういった社会集団ではいじめは起きることがありません。
 
平たく言えば「別に仲良くない」のに「無理やり一緒にさせられた」集団において、いじめは発生します。
学校教育では、子供にコミュニケーションの経験を積ませるため毎年クラス替えを行ったりして、わざとそういう集団を作っています*4。そういう集団を作ると、一定の確率でいじめは起きてしまうことが判っている訳です。
 

+なぜ学校のクラスでいじめが起きるのか 

なぜ学校のクラス=信頼関係のない社会集団で、いじめが起きてしまうのでしょうか?
 
それは、信頼関係がない社会集団に属している不安を、いじめに参加することで消すことができるからです。
信頼関係がないということは、相手が自分を攻撃してこないという確証がありません。親しい友達や家族は間違いなく自分を罵ったりしないでしょうが、クラスメートにそうされないという保証はありません。攻撃されるかもしれない状況で、人間は不安になります。そして不安から逃れて安心することを、本能的に求めます。
 
そこでいじめでは、メンバーの中からいじめられる役の人間を一人選びます
それから、何か悪い事があったときは、そいつを責めるようにします。
すると、いじめられる役の人間を責めている間は、自分は責められないので安心です*5 。また、皆で協力して一人を責めているなら、仲間と一つの目標にむかって協調しているという満足感や、仲間との信頼関係を育むことすらできます。
 
いじめは、信頼関係にない集団にいるという不安を軽減するために行われる訳です。
 
 

+いじめられ役は偶発的に選ばれる

信頼関係のない集団に居るという不安から逃れるため、集団のメンバーはいじめられる役の人間を選ぶと述べました。
では、その選定はどういった基準のもとに行われるのでしょうか?
 
基準はないことが明らかになっています。
 
つまりそれが先に述べた「ほとんど偶発的」ということです。
個々のケースでは、当事者たちは理由を持っています。大人から見てこれが理由ではと見えることもあります。しかし個別ではない複数のケースにまたがってみると、この特徴を持っていれば必ずいじめられてしまう、という条件は見つかりません
つまり、ブサイクだったからといっていじめられるとは限らない。
コミュ力がないからといっていじめられるとは限らないのです。
にもかかわらず、ある特定の子はいじめられることがあります。なぜか?
偶然だとしかいいようがありません
敢えていえば、その時の流れとか空気とか、まずコントロールできない集団心理によっていじめが起こるかどうかと誰がいじめられるかが決まります。
 

+偶然いじめられやすい子はいる

社会集団におけるいじめられ役の選定自体は、偶然としか言いようのないプロセスですが、それでもやはり傾向というか、確率の高い子は居ます。
 
いじめられ役の選定は、集団の総意(と見做される空気)によって行われますから、いじめられ役には、いじめられても他から文句や問題の出にくい人が選ばれます。
  • 何か集団内で和を乱したり、失敗や問題を起こしたことがある。
  • 全体的に「力」(暴力・財力・権力・学力など)に欠ける。
  • 集団内に親しいに仲間が少ない。
こういった人はいじめのターゲットになりやすいです。
しかしそういった特徴が持っているとしてもいじめられない人のほうが世の中には多いことと、これらは普通に考えたら大した欠点ではないことに注意しないといけません*6。いじめの発生は偶然的であり、対象の欠点が誘発するものではないことを再度強調しておきます。
 
 

+いじめに加担しやすい子もいる

いじめに加担しやすい子もいます。
いじめは信頼関係がない社会集団にいるという不安を軽減するために行われます。つまりいじめをしてしまうのは、どちらかといえば空気や他人の悪意といった権力の強弱に敏感な人です。また同時に、不安という感情があったら感情のままに行動してしまう人でもあるでしょう。感情のままに行動する理由には、単純に無知とかもあったりします。
  • 日頃から理不尽に怒られたりしがち。
  • 健全な社会経験が不足している。
  • バカである。
いじめに参加してしまうのはこういう人であることが多いと思われます。
特に重要なのは、恐らく最後の点です。いじめをしている人たちは、生来の暴力者や悪人ではありません。悪ではなく単にバカなのです。いじめ加害者は、自分のやっていることが何なのかも区別がついてない。単に楽しいからやってるだけです。実際、いじめはやってる側は楽しかったりします。
 

+いじめは無くならない

ここまで、いじめが不安を解消するために偶然起きる現象である、という趣旨のことを述べてきました。では、いじめはなくならないのでしょうか?
 
はい、そうです。いじめは無くなりません。
 
いじめの研究が最初に行われたのは70年代スカンジナビアだといいますが、しかし間違いなくもっと昔から連綿と人間集団で行われていた行動です。恐らくは社会性動物である人間の本能にかなり近い部分に根差しています。
だから必要なのは、実は「いじめの根絶」などではありません
やらなければならないのは、いじめのコントロールです。社会生活で不安になるとついつい弱者を攻撃してしまうことはあります。ありますが、通常「いじめ問題」*7とされるのは、それが継続して長期間にわたって行われること、ひいてはそのストレスで対象者の精神状態や健康に悪影響が出ることです。
要は、短期間でいじめを止めるとか、いじめられててもストレスの影響を最小にするとか、そういうことが出来ていればよいのです。
 

+先生たちは建前上こういったことは言えない

建前をないがしろにできない教育関係者は、これらを大っぴらに言えません。
言っててもしばしば要点がぼかされていたりします。
だって、「学校でクラスを作るといじめが起きますよ」とか「いじめは楽しいですよ」とか「いじめに遭ったのは偶々ですよ」とか「いじめ加害者になるのはバカだからですよ」とか、言えるわけがない*8
なので原因は不明だとか、追って調査するとか、実質的に説明を諦めます。
 
しかし現実にいじめに対象するには上に挙げたような認識を前提しなければならないし、実際こういう認識に基づいていじめ対策は建てられているのです。
次回は、じゃあどうすればいいのか、という実際の行動指針や現実に行われている方策の意味について、建前抜きで書こうと思います。
 

*1:教育関係の情報がタテマエにまみれてしまうのは今の時代無理もないことです。

*2:しかもいじめ被害者の親御さんとかがそうやって悩むところをメディアが流すので、特に学んでないうちは、結構賢い人たちもいじめの原因は不明だとか思っていたりします

*3:他のパターンとしては十分な信頼関係を築くのが難しい大企業の一部署などが考えられます。

*4:わざとそうしていること自体は完全に正しい。子供がいじめをしがちなのは、信頼関係のない集団に属すのが初めてだからという面も考えられる。

*5:また人間は悪い人間を責めるのが単純に好きという面を持っており、これも大いに関係しているでしょう

*6:この点注意が必要なのは「いじめられる方にも問題がある」論には判っていてもついつい飛びついてしまいがちだからです。

*7:「いじめ問題」にならないいじめ行動を「からかい」と呼んで区別することがあります。

*8:実は専門書などでは言っていますが(僕がこの知識をしっているのはだからです)しかし現場で言うには言葉を選ばねばならないでしょう。