「上遠野浩平論」①上遠野浩平という人物(インタビュー・あとがきなど)
今回は、上遠野浩平、という作家について書きます。
作家名だけを言われてピンとくる人がどれだけいるのか。ガチ中のガチファンである僕には逆に想像がつかないが、「あのブギーポップの」という言い方をすれば、まあ結構な数の人が知っているのではなかろうか。
なぜ上遠野浩平について書くかというと、まずその知名度や影響力の割に、言及が少ないからだ。僕と同年代の読書家(オタク、とは言わない)ならほぼ間違いなく知っている作家だ。2000年代に台頭した売れっ子作家陣*1がこぞって"影響を受けた作家"として挙げたことで再注目も浴びた。ラノベを語るうえで、ブギーポップが電撃文庫の天下を作ったのは一つの共通認識のはずだ。
その割には、なにかとその存在や内容についての言及が少ない。個人的には上遠野浩平の新刊がでることは、村上春樹の新刊が出るのに近い大事件なのだが、そういう注目の浴び方を全くしない。しまいには、「ああまだブギーポップ出てるんだ」とか言われる始末である。誰かが作った上遠野浩平wikiは、内容が充実することもなく更新が止まってしまっている*2。
僕はもっと、他の人が上遠野浩平について思っていること、上遠野浩平について読みたい。
そこでここはDIY精神を発揮して、自分自身で「上遠野浩平論」を書くことにした。文学の論文作法はあまり分からないのだが、とにかく上遠野浩平について作家論を試みるということである。
なお、たくさんの本を紹介するが、ネタバレだろうと一切の容赦がない*3。
+「セカイ系」の上遠野浩平
上遠野浩平について、言及が少ないとは言ったが、もちろん別に皆無という訳ではない。よくある言及として、上遠野浩平という作家はしばしば『イリヤの空UFOの夏』とか『最終兵器彼女』とか『ほしのこえ』とかと同列に並べられ、「ラノベ版セカイ系作品代表」と紹介される。
では、具体的にセカイ系作品とは何なのか。
それについては、前島賢の著作『セカイ系とはなにか』の議論が参考になる。
上遠野ファンでもある前島賢*4によれば、「セカイ系」とは要するに"ポスト・エヴァ"のことだ。
エヴァがTV版最終回で大混乱の結末を迎え、半ば意図的に既存のオタク世界観の消費を批判した結果炎上と擁護の嵐が起こり、現在まで続くいろいろな影響がシーンに残った。その影響で生まれたエヴァっぽい作品群の呼称が「セカイ系」なのだった*5。エヴァ終盤のような、内省的で、大きな物語と断絶したうえで、セカイと自己と直結して語る作品群を総称してセカイ系と呼んだ訳だ。
で、上遠野浩平の『ブギーポップを笑わない』は、そのムーブメントの一つとして登場し、影響を受けてまた影響を与えた一つの作品だった*6。
……いやいや。いやいやいやいや。
確かに上遠野浩平はセカイ系だ。でも上遠野浩平は別にセカイ系の影響を受けてなんかない。上遠野浩平はずっと同じ、おそらくエヴァブームが起こる前から「セカイ系」と後に分類されるテーマを主題に書いていたし、エヴァブームから20年経った今だってずっと同じテーマについて書いている。
時代のほうが勝手に上遠野浩平に追いつき、そして追い抜いていったのだ。
この、時代に追いつかれたと思ったらあっという間に追い抜かれている感が、いかにも上遠野浩平っぽい。中高生だった僕が熱狂した上遠野浩平の世界観そのものだ。
しかも上遠野浩平という作家は、同じ場所に取り残されたようでいて、実はじんわりと螺旋上昇を続けている。今や上遠野浩平のの才能は"セカイ系を抱えたその次"へ向かおうとしている。本論では最終的にそうした上遠野浩平の世界観と展望について書いていくつもりだ。
また、特に序盤では、上遠野浩平という作家がなぜ天性のセカイ系と断言できるのか、エヴァの影響を受けた他のセカイ系作品群と同じに見てはならないのかを確認していく。
まずは、この作家の来歴を見てみることにしよう。
+上遠野浩平の来歴(とイメージ)
上遠野浩平という作家は、あまりネットで発信をするタイプでもないし、たまにインタビューやエッセイがでても煙に巻いたようなことばかり言うので、その人物を知るのは難しい。けれど、これだけのビッグネームとなれば、流石に調べるだけで判ることは判ってくる。
上遠野浩平は1968年(昭和43年)生まれ、神奈川県に生まれて野庭高校に通い、法政大学経済学部を出た。学歴だけで見れば優秀でも落ちこぼれでもない、平均的な都会の学生といった感じ、に見えるが、どうも大学は夜間だったらしい。特殊な事情があったのか。あるいはあまり熱心に勉強してなくて入試が楽で学歴の手に入る夜間を選んだのか? いずれかは確かではないが。「昼は寝て夜に大学に行っていた」と語っており、昼働いてたわけではなさそうなので、たぶん後者か*7。
学校でどういう生活を送っていたかは、ちょくちょく例の独特なあとがきで語っている。上遠野浩平は、本編で学校が舞台だと、あとがきで自身の学校体験について語ったりすることが多い。
僕にはあんまり学校が楽しかったという記憶はない。だがいくつか通っていた塾やそれに類するものは、どういうわけかみんな妙に楽しかったという変な思い出がある(螺旋のエンペロイダーspin1)
受験生だったころの私は「勉強しなきゃいけないことはわかっているんだ。わかっているんだが――」とか思いながら予備校の講義をサボっては本屋で少女マンガなどを立ち読みしていたのであるが、本当にあんときの私は「勉強の重要性」を理解して、それに対してあえて抵抗していたのだろうか? 抵抗する理由なんかあったか?(ホーリィ&ゴースト)
僕のどうでもいいような想い出の一つに、尾道に行ったときの記憶がある。修学旅行の最中だったのに、僕はひとりだけ見知らぬ街の、見知らぬ坂道をとぼとぼ歩いていた。どうして歩いていたのかはもう覚えていない。(化け猫とめまいのスキャット)
私は割と、学校ではいつも消極的とか自分の意志がないだろとか馬鹿にされていた口なのだが、じゃあ希望がなかったのか、といえばそんなことはなく、今こうして小説を書いて発表しているくらいだから、他の人よりもかなり夢と希望に溢れていたのだろう。(壊れかけのムーンライト)
これらはあとがきをざっと見なおして見つけてきた描写の一握りだ。
参考になる記述はもっと見つかるだろうが……。
これらの記述から僕は、若き上遠野浩平について想像する。
きっとこの人は、友達とも遊ばずに本ばかり読んでいた。上遠野浩平が中高生だったころは昭和後期だから「青春といえばラグビー部だ」みたいな雰囲気がかなり大きかったはずだ。しかし、そういう文化には全く関わらなかったし、関われなかった。なぜ関わらないのかと眉を顰められることもあった。80年代といえば中学校でのいじめが問題になり始めたころでもある。とはいえ、この人は別段すごくいじめられていた訳ではない。そういう直接の被害に関する恨み節や絶望は、作品の中でも外でも語られたことがない。ただ、集団の中心からは孤立しており、皆がやってることや流行と自分が無関係であるという気分を抱えていた。何が起こるでもなかったが、何もなかったし、何もないことを負い目に感じていた——。
繰り返すがこれは想像だ。
しかも、僕は人を見る目には全く自信がないので、外れている可能性の方が高い。
ただ、こういう人物像が、上遠野浩平を読み続けた僕のなかに割と確固とした形であるのは確かだ。
あと関係ないけど、上遠野浩平の洋楽趣味はジョジョの影響。僕は一時期、文学っぽい作品性や露出が少ないことからなんとなく硬派な人だというイメージを抱いていたのだが、漫画の影響でにわかに趣味をもったりする一面も普通にあるようだ。作品の末尾にその時流れしている曲が書いてあるのはよく知られているが、一瞬だけ洋楽バンドを紹介するエッセイの連載をしたこともあって、たしかピストルズか何かについての話だっだろうか。しかし反響が微妙だったのかあまり書くことがなかったのか(僕は後者の印象を受けたが)すぐに連載は終わってしまった。あの連載が載っていたのはたしか電撃hpだったろうか……。ファウストだったみたいです。
上遠野浩平はこういう文庫未収録作品がかなり多い作家でもあって、出版社にはいつか全集の一つも出版して欲しいものである。
+最初期のワナビ上遠野浩平
大学を出た後については、想像に頼らずとも、手元に少し資料がある。
2004年の『小説家になるには』を紹介したい。
中高生向けにさまざまなの職業になる方法について書くペリカン社「なるにはbooksシリーズ」のうち、最も闇が深い一冊であろう。内容は、中堅どころの作家に作家になった経緯をインタビューし続けるという益体のないもので(しかも僕の主観からすれば割と微妙な人を含んでいた)、それで"作家になるには"が本当の意味で判るなら苦労はないとしか言いようがなかった。だが、全体として益体もない内容なのだとしても上遠野浩平のインタビューが載っていたので、僕はわざわざ新刊でこれを買ったのだ*8。
そのインタビューにによると、上遠野浩平が小説を書き出したのは18歳、大学受験浪人のときだ*9。新人賞応募はその1年後の87年頃から始め、富士見・大陸書房・小説現代などが対象だった。
就職は、大学を卒業したあと1度、ビルメンテナンスの会社でしたが、即退社。若き上遠野浩平は「投稿生活」に入った。
この「投稿生活」について、上遠野浩平はインタビューに答えて興味深いことを言っている。
会社を辞めて、家にこもって書き続けていました。当時は「引きこもり」なんて言葉がなかったけど、私がデビューした頃にそういう言葉が出てきて、「なんだ、俺がやっていたのは引きこもりというんじゃないか」と思いましたよ。
この人はなんとそういう概念が出来る前からの「引きこもり」だったというのだ。
参考文献のインタビューが2004年とやや古いので、より現在の言葉に近づけるとすれば、上遠野浩平は最初期の「ニート」であり、最初期の「ワナビ」でもあったという訳だ。
この期間、上遠野浩平は執筆投稿のほか、モデラーとしての活動もしていた。筋金入りだと言わざるをえない。この人作家にならなかったらどうしてたんだろう。
だが、この経歴が上遠野浩平の根本にあるのは、恐らく間違いない。
つまりこの人は、バブル以降に顕在化した現代日本の痛みや問題点に、誰よりも早くたどり着いてしていた。それどころか、当事者としての痛みを真っ先に感じていた。まさに当時最先端の人生を送っていたのである。小説において、実体験がどんな資料よりも有効に働くことは論を俟たない。
フィクション作品批評から現代日本を語る宇野恒弘は、エヴァンゲリオンを「ひきこもり/心理主義」と称している。そういう風に位置づけられる平成のエヴァ=セカイ系ブームに上遠野浩平の作風が合致したのは、全く必然というものだった。
+上遠野浩平のデビューと時代の変遷
上遠野浩平のアマチュアとしての小説執筆は、新人賞投稿を始めてから10年間続いた。大学は普通に卒業した分を差し引けば、「投稿生活」の期間はおおよそ5~6年といったところだ。
上遠野浩平がデビューした当時、僕は中学生だった。フォーチュンクエスト、スレイヤーズ、オーフェンと定番コースからラノベにどはまりしていた僕は、電撃文庫の新しい受賞作を読んだあと、受賞者の上遠野浩平の年齢がアラサーであることに気づいて驚いた。
ラノベにどはまりした中学生らしく、僕自身もラノベを書きたいという願望をぼんやり持っていたから、どれくらいの年齢がデビューに適当なのかを自分なりに調べ始めていた。オーフェンの秋田貞信やスレイヤーズの神坂一の受賞はもっと若かったはずだ。
驚いたのは、たぶん僕だけではなかったのではないだろうか? このころはまだ、読者も、恐らく業界も、ライトノベルという分野に三十代以上が新規参入することを想定していなかった。今となっては30代デビューなんて珍しくもなんともないが。そういう点でも、上遠野浩平のデビューは時代の転機そのものだった。
字数が多くなったので、記事は一旦ここで切ることにする。
次回はいよいよ、発表作品をもとに、上遠野浩平という作家を論じていく。
*2:いつか勝手に内容を充実させるか、あるいは自分で別のwikiかなにか作るかと考えたりしている
*3:上遠野浩平はすぐに「一切の容赦がない」とか言う。実はこれは本論の後の議論にとって重要になる気がする。
*4:ラノベ漂流20年!「前島賢の本棚晒し」 - 電子書籍はeBookJapan の連載において5回連続ブギーポップについて書いていて、大変楽しく読ませていただきました。こういうのが読みたいからこの記事を自分で書きだしているんだ僕は。
*5:僕の主観によるそうとう雑なまとめです。
*6:なお、前島氏がブギーポップはエヴァの影響で書かれたと言っているわけではない。氏は先に紹介したラノベ書評連載でのブギーポップ評で、だいたい本論と同じ意味のことを言っている
*7:『ファウストvol5』のインタビューに答えていた。なお、このインタビューはメールマガジン『波状言論』での連載を再編集したもの。
*8:今では絶版なので実は正解だったかもしれない
*9:書き始めた年齢については別のコラムにも書いてあった。「電撃小説大賞 出身作家インタビュー」