なぜ今更デスノートかというと、その行動の評価について「犯罪率下げたけど、レイ・ペンバー殺したからダメだよ」とか「終盤保身に走らなければよかったんだ」とかいう言説がけっこう見られる、というか、僕が探したらそういう評価が主にネット上にのさばっていたからです。
個人的に、フィクションの話であることを差し引いても夜神月がやったことは悪であり許されないという理屈や評価が一般に広まりきっていないというのは、これは納得いかないところがあります。レイベンパー殺さなかろうが、最後の死に様で保身に走るような無様を晒さなかろうが、夜神月はクソ行為をしたクソ野郎です。
それが賛否両論みたいになってしまうのは、漫画デスノートで夜神月が何をしたのか? を分析するのに現実の社会に関する知識や視点が欠けているからです。
この記事では、漫画デスノートの社会で実際に何が起こったのか? について、僕の知識と分析を書いていきます。
+キラがしたのは悪人を裁くことではない
最初に述べる点がもっとも重要だと思います。
夜神月は自分=キラが犯罪者に裁きを下したと思っています。自分でもそう言っていますし、一部のキャラからそう思われているという表現も漫画に出てきます。でも実際に裁きを下しているのはキラではありません。
犯罪者を裁いているのは警察です。
キラはテレビの犯罪報道、あるいは警察の偉い人である父のパソコン等を見て、逮捕されたという情報のあった犯罪者を殺害します。そうです。既に逮捕されているのです。放っておいても裁きは下りました。懲役とか罰金とかいう形の裁きです。
当時高校生だった月クンはそういう既存の裁きでは不十分だと感じていたので、デスノートを使って犯罪者を死刑にすることにしたわけです。懲役や罰金で済んでいた犯罪を、死刑に変える。これは一般に厳罰化といわれる政策です。
つまりキラがしたのは「刑罰を許可なく厳罰化し、死刑にする」という行為でした。
+月くんはデスノートを「面倒だから」使った
言うまでもないことですが、刑の厳罰化は別に普通の人間にもできます。
政治家になって圧倒的な権力を得て国会で議案を通して、犯罪者を死刑にするという法律をつくればいい。実質的に無理ということをさておけば、原理上はデスノートなんか使わなくても可能なことです。歴史上でもポルポトとかは普通に近いことをしました。
だから月くんの「厳罰化のためにデスノートを利用する」という行為は、所詮高校生だった彼は自分でも判ってませんでしたが、要するに権力を手に入れたり政治家になったりするのは面倒だからという意味でした。
月くんが自分で考えるほど超絶天才で社会的に成功が約束された存在でキラの政策が社会に貢献するのだったら、警察庁長官の息子で東大卒の経歴を引っ提げて自民党から選挙に出て、総理大臣となり、独裁を実現すればよかった。
逆に言えば、キラはそれをしないで法律を変えちゃった。
キラが殺したのは、実は犯罪者ではなく議会制民主主義だったのでした。
+キラの行為は凶悪殺人鬼への恩赦に近い
まあ、原理的にデスノートなしで可能とはいったものの、現実問題、国会でキラがやったような厳罰化法案を通すのは無理です。だからデスノート意味なかったみたいにいうのは、さすがに言いすぎかもしれません。
でもなぜ無理なのかな? 理由はもちろん、皆が賛成してくれないから……なぜ賛成しないのか? 愚民どもは月くんよりも頭が悪いから、デスノートを使うしかないのかな?……もちろん頭が悪いのは、無知な高校生だった月くんのほうです。大人は月くんの考える通りにする事の何が問題なのかちゃんとわかってます。
気軽に犯罪者を死刑にすると、いろいろ問題はあるですが、恐らく一番大きな問題点は犯罪と罰にはちゃんと「量刑」をつけないといけないということでしょう。ハンムラビ法典の時代から、法律は「目を潰したら目だけを潰してそれ以上のことはしない」と決まっています*1社会の安定と公平のためには、罪の大きさがイコール罰の大きさでなければなりません。これを『罪刑法定主義』といいます。
ところで死刑には、それ以上大きな罰を設定できないという特徴があります。二回スピード違反をしたら二倍の罰金を課せばよいのですが、二人の人を殺したからといって二回死刑にすることは不可能なのです。罪刑法定主義の観点から言えばこれは不都合です。なので、現実に死刑を実施している国では、死刑は最大の罪に対する罰とされています*2。例えば日本では複数人以上殺した罪人が死刑になります。罪の大きさがカンストするので、それ以上は全部死刑という意味です。
ところがキラは比較的軽い犯罪を犯した人からいきなり死刑にしました。これは、大量殺人鬼と軽犯罪犯の罪は同価値であると宣言したことになります。
これが問題にならないわけなくて、例えば「俺は盗みを犯してしまったからもうどうにでもなれ好き放題強姦してやる」みたいな自暴自棄犯を生んだり、最悪の場合「俺は殺人したけどもっと軽い罪と程度の行動だからそれほどに悪くないよね」みたいな価値観を醸成する恐れすらあります。でも何よりの問題は、法の下の平等や公平といった価値を損なっているという点だと思います。倫理が破壊されている。
月くんはキラを正義の執行者だと思ってましたが、実は凶悪犯の罰を相対的に軽くした、正義を破壊した悪の擁護者だったのです。
+キラは大量の冤罪者と間接殺人者を生んだはず
気軽に犯罪者を死刑にした場合の、もっと判りやすい問題点として死刑にすると冤罪に対処できないという話もあります。
なにしろ一度死んだ人間を生き返すことはデスノートにもできません。
冤罪被害の議論は、現実の死刑問題でもしばしば死刑反対の協力な論拠として挙げられます。よくテレビを見る人なら「かつて死刑の判決を受けたアメリカの死刑囚がDNA鑑定普及の結果、再審やり直しで無罪になった」みたいな実話*3を見たことがあるかもしれません*4。最重犯罪に限っている現実の死刑についてすら冤罪が問題になっていて、判決後長い留保期間や再審請求の機会を確保してあるのに、テレビを見て気軽に死刑かどうか判断していた人間が間違ってないわけがない。キラのせいで冤罪被害を受けたまま死んだ人が確実にいるはずです。
更に言えば、犯罪報道に載ってしまうとキラに殺されるということはみんなが知っていたのだから、わざと殺したい相手に冤罪をかぶせるというタイプの殺人もあったに違いありません。キラの逮捕が不可能だった以上、そういう殺人者は物語終了後も野放しになっていたでしょうね。
+キラは司法権をマスコミに投げ与えた
百歩譲って、月くんがそういう「即死刑政策」の問題点を把握しており、それでもなおやるべきだという決意のもと行動に移したのだとしましょう。しかし、恐らく月くんが意図してなかった上に、実際に漫画の中でも描写された問題があります。マスコミの暴走です。
あれは月くんがとった行動を考えれば起こって当然の出来事でした。
なぜかというと、キラは基本的にマスコミの犯罪報道を見て死刑を実行していたし、社会の皆もそのことを知っていました。ということは誰を死刑にするかはマスコミが決めていたし、マスコミの中の人もそのことを知っていたということです。ていうか途中からはキラ自身がさくらTVの保護を公然と周知し、司法ではなくTV局への報告を推奨しました。
言うまでもなく「誰を死刑にするか決められる」というのは、相当大きな権力です。現代では普通は『司法権』として、大統領や総理大臣からすら分離されている権力で、最高裁判所の裁判官のような、注意深い選別と安全措置をとってやっと与えられるものです。キラはその絶大な権力をいきなり、よく知らないマスコミの人に与えたことになります。
案の定、いきなり強大な権力を与えられた人がマトモでいられるわけがなく、そうして「嫌な奴」から「暴君」になってしまったのが出目川Pというキャラクターでした。後にキラ自身*5も見るに堪えないという理由で彼を殺しましたが、どう考えても出目川Pの暴走を生んだのはキラでした。
彼はなにかにつけて死刑制度の運用が無思慮すぎる。悪であることよりも頭が悪いことが問題です。松田をバカ野郎とか罵っている場合ではない。
+「犯罪率下げた」とかで勝ち誇らないでください
しかし更に千歩ほど譲って、夜神月くんが出目川P暴走のような事態すら折込済みで、ただただ社会を良くしたいという正義感から行動したのだとしましょう。漫画デスノートでは明確に「キラの出現によって犯罪率が下がった。キラの消失によって犯罪率は戻った」という描写がされています。だからキラにも一面の正しさはあったと言えるんじゃないのか?
これについては二つの考え方があります。
第一に、別にキラのいない現代日本でも厳罰化は進んでいます。言われれば皆判ると思いますが、2000年と2007年には少年法の改正による低年齢化、2009年には道路交通法改正による飲酒運転点数増加などがありました*6。もしもデスノート世界でも現代日本と同じ出来事がおこっているのだとしたら、キラが何もしてなかったとしても厳罰化の流れはあったと思われる。キラの出現によって犯罪率が下がったのだったら、キラがいなくても厳罰化で犯罪率は下げたんじゃないでしょうか。
第二に、これはフィクションに対して言うのも何なんですが、実際には厳罰化による犯罪率低下は、起こらない・または効果が薄いと思われる。既に述べたように、犯罪を抑止する目的での厳罰化は別にデスノートでなくても可能です。そして、実際にやりました。その結果、専門家の議論はだいたい「厳罰化による犯罪抑止効果は限定的だったよね」という結論になっています。
例えばアメリカでは1970年代からずっと少年犯罪の厳罰化を進めていましたが、近年も銃乱射事件の報道をよく見るように、十分な抑止効果がないどころか下手すると悪化しています。他に有名なのはNYのゼロトレラント政策で、犯罪率は確かに下がったもののそれは他の施策による効果が主だったとされています。
厳罰化に犯罪抑止効果が少なかったのは、後知恵ですが、考えてみれば当たり前でした。だって犯罪後の結果について十分な思慮を働かせる余裕や知能がある人が、罰金100万円の犯罪を実行する訳がない。だから罰金を止めて死刑を採用しても、そいつは思慮を働かせることなく犯罪をします。犯罪っていうのはほとんどの場合、衝動的かつ軽率に行われるのであって、デメリットでかいからやめようみたいな合理的期待の効果は薄いと思われるのです。
というわけで「キラが犯罪率を下げた」というストーリー上の描写すら、ちゃんと考えるとどうやら怪しいのでした。
+キラが成し遂げたことってなによ?
まとめます。
- キラは悪人裁いてる気取りだけど実際やってるのは警察。
- キラは全くの無思慮で日本の政治システムを破壊した。
- キラの存在はむしろ多くの悪人を生んだ恐れがある。
- キラの恐怖は現実ならたぶん犯罪率を下げたりしない。
という訳で、夜神月くんは自分(と一部の読者)が思うよりはずっと悪いことをしているし、逆に良いことは全くしていないです。
というか些細な記憶力や計算能力で天才設定が演出されてますが、そもそも発端の「悪い奴を死刑にすれば世界はよくなるよね」という中二病発想は大学受験の時期になって言いだしている上、その考えを東大*7法学部に入り、司法試験に合格してまでまだ捨てていない訳です。司法の勉強が身になってないにも程がある。はっきり言って相当頭悪いです。*8
こういうことを抜いて、キラが明確に何かを成し遂げたことといったら、たぶん社会的ムーブメントを作り出して最終的にキラ教団を作ったことじゃないでしょうか。あれだけは、ちょっと否定しようのないストーリー中における明確な成果だと思います。無から有が生まれていますからね。
デスノート無しで教団を作ったぶん、大川隆法のほうが格上ということになりますけども。
*1:『目には目を』の復習法とは『俺の目を潰した相手は一族郎党皆殺しだ!』みたいな無法者を王が止めるために制定されました。
*2:この点は実は現実世界の死刑に関する議論でも問題となります。公平性や法的整合性の観点から言えば、人を一人殺したら懲役50年、二人殺したら懲役100年と加算していって、大量殺人鬼には懲役1000年みたいな数字を例え非現実的でも設定したほうが良いという考えがあるのです。
*3:だいたいこういのは月曜日のビートたけしの番組で紹介してました
*4:折しもデスノートを連載していた2000年代はDNA鑑定の普及で過去の冤罪被害が何件も明らかになっていたころで、この手の議論が大いに盛り上がっていました。月くんは犯罪被害に興味があるくせに当時のホットトピックすら把握してなかった、と言えるかもしれません。
*5:この時は魅上でしたっけ
*6:ちなみにこの日本の事例ですが、少年法改正については今のところ目立った効果は見つかりません。あと飲酒運転については減りましたが、罰の大きさが変わったせいというより、改正に伴って進んだ代行業者の普及や飲食業界によるハンドルキーパーキャンペーンのほうが大きいのではないかと思われます。
*7:東応大学でしたっけ
*8:なおこの記事は行きがかり上、原作者・大場つぐみ先生が政治思想に無知であることを責めてると取られてもしかたないですが、面白さにおいて圧倒的な作品を作った原作者を、僕は100%リスペクトしている旨をここに明言します。